以前の僕でも同じように共感できただろうか? 成長したことにより共感できるようになったのだろうか? そうでない僕が存在しない以上答えのない疑問ではあるけれど、何となくそんなことを思ってしまったり。
本書も系統は多少違うとはいえ、成長しようとか成功しようといった類のビジネス書とは違い、穏やかで自然体な、人としての根源的な幸せに通ずるような考え方が根底に流れている。
著者の小山龍之介さんは、僕たちは、自分自身のとめどない「思考」「余計な考えごと(とりわけネガティブな考えごと)」によって思い通りに生きられなくなっていると言い、そのためにそうした「思考」を止めること、すなわち「考えない」ようにするための「練習」することと、その方法論を本書で提案してくれている。
本書の内容:
「そっか、考えないのが良いのか」と考えてみても、更に思考が増えるだけで考えは止まってくれません。頭でわかったつもりになるのでなく、実際に止めてみようと練習することによって、初めて思考を調教することも叶うのです。 本書で提案するその調教法とは、五感を研ぎ澄ませて実感を強めることにより、思考というヴァーチャルなものを乗り越える手だてです。目・耳・鼻・舌・身の五感に集中しながら暮らす練習を経て、さらには思考を自由に操る練習を始めてまいりましょう。(p.4)
一般に、パスカルの「人間は考える葦である」という言葉もあるように、「考える」という行為は人間と他の生き物との間の大きな違いであると考えられている。
なので、「考えない」という言葉にピンと来ない部分もあるだろうし、「考えない」ことによって「思考」を操るという謎掛けのような話に戸惑いもあるかもしれない。
小山さんのいうところの「考えない」というのは一言でいうのも難しいのだが、例えばこんな言葉がヒントになるだろうか。
目指すべきところ:
無駄なエネルギーを使わない思考、その時に最も適切な最低限のことだけを考えて、どうすれば無駄な思考や空回りする思考を排除できるか、さらには、どうすれば煩悩を克服できるかが、仏道のスタートであり、ゴールでもあるのです。(p.27)
この自分自身の「煩悩」とか「欲」というようなものをいかに排除するかという点がポイントになるのだと。
ただ、こういう仏道のような中において「欲」という場合は、自分の中のかなり根源的な部分に巣食うものを指すことに留意が必要だ。
例えば、無駄話、すなわち口数が多いということを、「欲」に駆られて必要のないことまで話し続けるという捉え方をする。
その根源には「自分の話を聞いてほしい」という「欲」があり「煩悩」があるということなのだ。
こうした仏道的な考え方というのは、実は、個人的には「欲」に駆られた行動をしてしまっているという点で耳の痛い話ではあるのだが、一方で至極納得し受け入れられる。
本書を読んでいると至る所で、そういった観点から自らの行動を見直したいと思うきっかけを得られるのであるが、ここではブロガーにふさわしく、ブログに纏わる話を紹介しておきたい。
(イライラや不安をなくす練習として挙げられている8つの項目のうち「書く/読む」に含まれる内容だ。)
見てもらいたいという「煩悩」:
せっかく書いても、誰も認めてくれない。寂しい、むなしい……だから、書くせいでプライドが傷つくくらいなら放っておこうとなるわけですが、そもそも、そこに煩悩を育ててしまう側面もあることを自覚しておいたほうがよいかもしれません。(p.110)
これ、ブロガーなら実感できるんじゃないかなあと(笑)
今でこそ、お陰さまで読んでもらえているという実感をもつことができているのだが、ブログを始めた当初などは「一体誰が読んでくれるというのか…」という想いを拭い去ることはできなかったし、そもそもそういう不安(「書くなら読まれたい」という煩悩)があったからこそ始めるのを躊躇ったのだと思う。
そういう意味で、こうして続いている今でも、この煩悩との葛藤は捨て切れていないわけで、ひとりでも多くの人に読んでもらいたいなと思っている。
そこに小山さんの教えを取り入れるとすれば、アクセスが増えても減っても、そのことに一喜一憂せず、淡々と事実として受け入れなさい、ということだろうか。(なかなかに難しいのだが。)
手書きの勧め:
まず、ウェブログや記事を書くことがありましたら、その際の下原稿の段階は、手書きで書いてみることをお勧めいたします。(p.114)
仏道的発想から「欲」とか「煩悩」とかいう話が続くのに、やけに具体的なアドバイスだなあと(笑)
僕の記事だけ読めばそう取られても仕方ないが、本書はかように身近で分かりやすい話で展開されているのだ。
これは、キーボードで文字を打つと、手書きよりも相当速いスピードで思考を具体化することができるため、「高速の思考」に支配され、「自分がただ書きたいもの」という「欲」に支配された文章、記事になってしまいがちだということ。
手で書くことで、そうした「煩悩」に飲み込まれてしまうことを防ぐことができるというわけだ。
この教えは是非実践していきたいと思うものの一つなのだが、本記事は下書きなしで書いているという(笑)
(実践したら今よりも更に書評執筆のペースが落ちるんじゃないかと懸念しつつ…)
内容にも注意!:
避けたいのは、自分がいま「ムカついている」ことを取り上げて、あれが気に入らない、これが気に入らないと書くことです。映画やお店の悪口などは特に増えているようですが、ネガティブなことを書くと自分でも興奮しますし、ある種の人々はそれに反応して盛り上がります。書くことによって、嫌なものを世の中から減らしたいと思っているのかもしれませんが、結局は自分の心に怒りのエネルギーを焼き増しさせ、ストレスを増やし、心身ともに悪影響を与えるだけです。 そうではなくて、良かった映画や良かったお店のことだけ、それも読んだ方が、「読んでためになったなったな」と思えるような情報を書くように心がけることです。自分が好ましいと思っていることだけ書いて、ネガティブなことは絶対に書かない ことです。(p.115)
これ、僕自身は普段から心がけているつもりだけれど、まあ色々と意見のあるところだと思う。
書評ブログなんてやっていると、提灯記事を書くわけにもいかないから時には批判的なことも書かざるを得ないときもある。
しかし、そういうときこそ、主観的にネガティブにするのではなく、努めて客観的になるように気をつけたいところだ。
(逆に、ポジティブな情報は主観的に書いていいと思っているが。)
まあ、最近は読んでも書評にしていない本が多いので、ネガティブなことを書くことに時間を使うくらいなら、ポジティブに書きたい書評に時間を割きたいという事情もあるのだが。
仏道の「煩悩」や「欲」という考えに根ざしながら、五感を使ってイライラや不安を消していこうという本書の趣旨からすると、ここで紹介した事例はやや特殊かもしれない。
しかし、いずれもこうした日常的な事柄で「練習」できる方法を提案してくれており、そうした心穏やかな生き方を実践し、余計な考えごとをなくすことで、却ってクリアに考えられるという状態を手に入れたいと思えば、是非読んでみることをお勧めする。
特に、日々多忙な環境に身を置くビジネスパーソンには、こういう「練習」は必要だと思う。
■ 関連リンク 家出空間 ■ 基礎データ 著者: 小池龍之介
出版社: 小学館 2010年2月
ページ数: 226頁
紹介文:
頭で考えずに、もっと五感を使おう。すると、イライラや不安が消えていく―
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考えない練習
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